境内と周辺

境内と周辺のご案内

西大寺八幡神社 境内

西大寺八幡神社

西大寺八幡神社 本殿

重要文化財に指定されている三間社流造の本殿は、室町時代の中期に建立されたものであり、境内には拝殿や覆屋が存在しないことから、大きな本殿の全体像がよく見えるという少し珍しい空間となっています。

室町時代中期に建立された本殿の建物は国の重要文化財に指定されており、現在も改修や保全などにより美麗な姿が保たれています。

右殿に「気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」・中殿に「誉田別命 (ほんだわけのみこと)」・左殿に「玉依姫命 (たまよりひめのみこと)」をお祀りしてます。

二の鳥居

二の鳥居

参道には2つの鳥居があり、特に二の鳥居は、新池からの小川をまたぐ花崗岩の一体造石橋とともに、西大寺八幡神社で最も古い建造物とされています。

左座と右座

左座右座

西大寺八幡神社では、氏子で組織された左座(あんざ)と右座(おうざ)が氏子神主を交互に担い、大人・中座が中心となって、愛宕さん詣りや灯籠巡回などの年中行事や祭祀の運営、清掃管理など、鎮守の文化を絶やすことなく、継承に取り組んでいます。
左座小屋と右座小屋は、本来、社殿から見て左と右にありますが、当社では、いつの頃からか左右が逆転しました。変更理由も変更時期も不明です。当社では、提灯に描く紋が、左座は「鳩」、右座は「鳥居」と、左右の座で異なっています。その理由はわかっていません。

住吉神社

住吉神社

西大寺八幡神社の社殿塀の南に鎮座する神社です。詳細は不明。
かつて、7月最終日曜日の昼に芝垣内の各家で採れた豊作物を献上し、その後、くじで引き当てた供物を各自で持ち帰って食する習慣がありました。男衆は祠前の日除けの網代下で御馳走を持ち寄り懇親の宴を催しました。この風習は奈良でも唯一のものでしたが、現在は途絶えてしまっています。

石落神社

石落神社

石落神社は西大寺東門前の飛地境内に鎮座し、石落神をお祀りしています。社殿は、室町時代の建造物。一間社春日造朱塗の桟瓦葺、見世棚のつく中世風の小規模な社殿です。

・神社本殿(奈良市指定重要文化財)

薬師堂

薬師堂

堂正面左右に石仏があり、右は観音像、左は十一面観音石仏で、ともに江戸時代のもの。堂内に鎮座する御本尊の薬師如来は寄木造・漆箔の座像で高さ67cm、室町時代のものとされています。左脇壇には愛宕社を、右脇壇には八幡さまを祀っています。
毎年、芝垣内の年行司4人が代表して愛宕神社に参詣し、護符を受けて帰り、これを各家に配る「愛宕山詣り」のしきたりが残っています。堂宇は西大寺から移譲され、明治16年(1883年)に移築されたものとされており、現在は芝垣内の集会所として使用されています。

新池

新池

村人の寄進で造られたため池で、新旧の二つの池が連なっており、生態系の保持や豪雨防災、眺望・景観など、多くの機能を有しています。
八幡神社の北側の道路から新池の堤防を経由して西大寺奥の院にいたる道は隠れた歴史街道にもなっており、特に堤防からは若草山が一望でき、山焼きの撮影スポットにもなっています。

西大寺

西大寺

真言律宗総本山の寺院。山号は勝宝山。南都七大寺のひとつ。本尊は釈迦如来。天平宝字8年(764年)、称徳天皇が鎮護国家のために四天王像の造立を発願したことにはじまり、翌年建立。創建当時は、東・西に高さ約45mの五重塔と百余の堂宇を数える壮大な伽藍を誇り、東の大寺・東大寺を父の聖武天皇が建立し、西の大寺・西大寺をその娘である称徳天皇が勅願したことから、東西で並び称されました。
平安時代、再三の火災で諸堂のほとんどが焼失しましたが、鎌倉時代に入り西大寺中興の祖とされる叡尊上人(興正菩薩叡尊上人)の造寺・造仏の尽力により、密・律双修の真言律の根本道場として生まれ変わりました。
このように、古代寺院と中世寺院の伝統を持つ西大寺は、1250年以上に及ぶ悠久の歴史と伝統を今に伝える、古都・奈良を代表する寺院です。
境内は国史跡に指定され、叡尊上人の御手植えや菩提樹が残されているほか、国宝である金光明最勝王経や大毘盧舎那成仏神変加持経などの奈良朝写経は、創建当時の威容を今に伝えています。
また、国宝の叡尊座像、本尊の釈迦如来立像、中黒秘仏愛染明王坐像、興正菩薩坐像、重要文化財の文殊菩薩騎獅像と四侍者像のほか、塔本四仏坐像、吉祥天立像、十一面観音立像などの仏像、国宝の十二天画像などの仏画・肖像画、金銅宝塔、鉄宝塔、金銅透彫舎利塔など舎利塔や密教法具などの寺宝を多数所有し、今も参詣する人が絶えない大寺です。

西大寺本堂

西大寺 本堂

現在の西大寺の中心堂舎。もともと鎌倉期に東塔の北方に建てられた光明真言堂の後身で、江戸中期の寛政年間に完成しました。桁行七間、梁間五間、一重の寄棟造で、本瓦葺。前後面に向拝三間を付しています。堂内は東西南の三方の外陣と内陣を仕切り、内陣北の中央に須弥壇、東西に脇壇が設けられています。江戸中期に見られる、土壁を用いない独特の建築技法による奈良市屈指の巨大で優れた近世仏堂です。
10月には本堂を特別に荘厳して光明真言会がおこなわれます。

本尊釈迦如来立像(重要文化財)
・文殊菩薩騎獅像(重要文化財)
・四侍者像(重要文化財)
・弥勒菩薩坐像(奈良県指定重要文化財)

愛染堂

西大寺 愛染堂

本堂西南、東塔基壇西方の位置に東面して建つ入母屋造・桟瓦葺向拝付の大型仏堂。叡尊上人の住房であった西室(にしむろ)の跡地に、江戸時代の明和4年(1767年)に京都の近衛家邸宅の御殿の寄進を受けて移築建立されました。
内部は三区画に分かれ、北側は客殿(内部に障壁画・襖絵あり)、中央は内陣(中央須弥壇に秘仏愛染明王を祀る)、南側は御霊屋(おたまや、歴代先師尊霊の位牌を祀る。現在は中央に興正菩薩寿像も祀る)となっています。寝殿造風の外観の公家邸宅建築を仏堂としたユニークな堂舎です。

・興正菩薩寿像(国宝)
・愛染明王坐像(重要文化財)
・黒漆彩色華形大壇(重要文化財)

東塔跡

西大寺 東塔跡

西大寺東西両塔は当初、八角七重塔として設計されましたが、奈良時代末期の緊縮財政のなかで縮小され、実際には四角五重塔として創建されました。その両塔も延長6年(928年)に雷火でいずれかが焼失したと伝えられています。その後、平安末期に修造され、鎌倉時代に塔供養が行われたました。その東塔も1502年に焼亡し、その後は再建されないまま塔跡のみが遺り、現在に至っています。

不動堂

西大寺 不動堂

寛永年間の末年頃(1643年)に建立されました。
寄棟造の方三間堂。宝山湛海作の不動明王をお祀りし、毎月28日には護摩祈願がおこなわれます。
もともと愛染堂南辺にあったものが、1979年(昭和54年)に現在の場所に移建されました。
奈良市指定文化財。

四王堂(観音堂)

西大寺 四天堂

西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像を祀る仏堂です。
現在の堂舎は江戸時代の延宝2年(1674年)の再建で、正面3間・奥行2間の寄棟造、身舎(もや)の四周に裳階(もこし)を廻らし、外観は二重風の建築となっており、堂舎周囲の版築基壇は奈良時代創建当初の規模を伝えています。
鎌倉時代の正安2年(1289年)、亀山上皇院宣で鳥羽上皇御願寺であった京都白河十一面堂院の本尊・十一面観音立像が客仏本尊として当堂に移されてからは、観音堂とも称します。四天王像も後世の再造ですが、その足下の邪鬼が奈良時代創建当初の姿を伝えています。

・十一面観音立像(重要文化財)
・四天王像ならびに邪鬼(重要文化財)

西大寺奥の院

西大寺奥の院

西大寺の塔頭寺院。国の西大寺境内史跡指定に含まれています。
門の正面には、西大寺中興の祖・叡尊上人の墓といわれる総高3.42m、二重基盤壇上に立つ我が国最大級の大五輪石塔があります(鎌倉中期建立)。本尊の地蔵菩薩立像は、室町時代のものとされています。
境内の西面には斜面を生かした庭園があり、特に夕暮れ時の景観は絶景です。

・興正菩薩叡尊五輪塔(奈良県指定重要文化財)

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